正しいクラヴィーア奏法3


つづいて、多くのページがついやされているのは、

装飾について、です。


エマニュエルバッハの言う、装飾音の意味は


音符同士を結びつける音符に生気を与える音符に重みを加たり、美しくしたりすることで、当別な注意を喚起する。


装飾音は、音符の表現内容を明らかにするのに役に立ち、真の演奏表現のために多くの機会と題材を提供するのであって、

決して曲のアフェクトに乱暴を働くことのないよう、最新の注意を払わなければならない

 

と書かれています。
「乱暴をはたらく」という表現がおもしろいですね。

考えなしに装飾をただ入れることで、その場の雰囲気をぶちこわしてだめですよって感じかな。


ここでおもしろいな、と思うのは、エマニュエルバッハが、楽器が、歌声よりも得意とするものがある、ということについて言及しているところです。つまり、

「不意打ちなり情熱とを巧みに織り交ぜ、その結果として、絶えざる変化によって聴衆の興味をことのほか駆り立てて楽しませる」のを心得ているのが楽器である。。。


聴衆の興味をことのほか駆り立てて楽しませる。。。

 

なんだか、次のヴィルトゥオーゾの時代を彷彿とさせる言葉ですね。


このような器楽的な演奏をする部分は

「装飾音に関する必要な慎重さを忘れない限り」

自分の弾くものが歌うこともできるかどうかなど、

気にする必要はまったくない。と述べています。

 


ということは。。。

 

そうでないところは、歌唱的に演奏しなければならない、ということでもあるんでしょうね~

 

やはりどうしても、歌の曲の勉強をしていかないと、

器楽で「歌う」事は難しい。。。というのが、わかってきます。


反面、器楽らしい演奏、というのもだんだん出てくるのですね。

まだ少ししか演奏したことはありませんが、彼の鍵盤作品の自由奔放さや、独特な装飾音の入れ方を考えると、ようやく鍵盤楽器の時代が訪れつつあるのを感じます。