正しいクラヴィーア奏法4

最後に「演奏表現について」書かれた章では、31項目あって、17~31は、譜例つきで、記譜と奏法上の諸注意のようなものが書かれています。

ベーブンク(鍵盤の上に指を置いたまま揺すって音程を変える)や、強弱についても書かれていることから、彼が想定してしていた楽器は、オルガンやチェンバロではなくて、クラヴィコードやフォルテピアノのような楽器だったのでしょうね。

 

長い情動的な音には、ベーブンクをかける、なんていう表現を読むと、なんだか、歌の演奏の仕方みたいだな~と思いますね。

この長い音をどう「感じながら」演奏するか。今のピアノを弾く私たちの一番苦手とするところかも。

どのような音を、スタッカート(切り離す)するか、レガート(つなげる)するかについても、書かれています。


概して離れた音は離して弾く、とか、和声的な音は音を保持して弾く、とか、かつての自分のレッスンで聴いたことのあるような注意もかかれてありました。

面白いなと思ったのは、スタッカートを表す記号について。


スタッカートされるべき音には、音符の上に点(・)か、短い線を書くが、自分はどちらかというと点を使う、なぜなら、(通奏低音の)数字と勘違いされるから。

ということは、まだこの頃は、通奏低音で和声を現わすこともあったわけですね。

あとの項目は音楽家、鍵盤楽器奏者としての心構えのようなものが書かれています。そこに、ちりばめられているのが「アフェクト」という言葉です。

良い演奏表現について語る前にエマニュエルバッハが批判しているのは、


ただ単に鍵盤を早く弾きすぎる(または遅く弾きすぎる)機械的に楽器を弾いているだけの奏者。

どうしても、練習、というと、早くて難しいところだけを弾いてしまいがちな私たちにも耳の痛い言葉、ですね。
それに、その難しいパッセージの内容の理解なしに、指を動かす練習だけを繰り返しても、けっしてできるようにはならないんですよね。

たとえば、曲の激しい部分でも、
「キーを過度に強く打鍵することによってでなく、和声的、旋律的、音型によって、凶暴、怒り、その他の激しいアフェクトを表現しなければならない」
と彼は書いています。

メルジャーノフ先生もおっしゃっていましたが、気持ちの伴わない機械的な演奏はしてはならない。
これって、演奏している本人の、音楽する喜びの根幹にもかかわってくる問題だと思います。

レッスンの中でも、私は、生徒さんに、自分がどういう風に演奏できるようになりたいですか?との問いをたまに投げかけますが、最初のうちはみなさん、「難しいところでもらくらくと指がまわる」ようになりたい、とおっしゃいます。

それだと、最終的に指が回ってその曲ができるようになったら終了。。。次の曲も同じ。それだと、音楽することの喜びってどこにあるんだろう?という感じですよね。

その延長で、何をやっても同じだからと、中学生くらいでやめてしまった生徒さんがおられた、という話を聞いたことがあります(~_~)うわ~なんてもったいない、ですね。
さまざまな体験をして成長し、やっと大人の音楽に触れられるようになった時にやめてしまう・・・なるべくそうならないでほしいな、そうならないようにレッスンができたらな、と常日頃思っています。