1809年。


この年に、エラールのピアノの音域を超える作品がベートーヴェンによって作曲されました。


告別ソナタ op.81aとピアノ協奏曲第5番 op73
1810年7月、ベートーヴェンがシュトライヒャーにあてて書いた手紙


「君の店の入り口のドアのそばにおいてあるピアノフォルテが、私の耳のなかで鳴りつづけているのを、どうにもとめられない。この楽器を選んだことで感謝されるだろうということは確かだ。だから、それを送ってくれ。その楽器が君の考えているより(タッチが)重いとしても、たぶん我々はその難しさを克服できるだろう」


シュトライヒャーは、ベートーヴェンの補聴器を作ったり、胸像の製作に関与したりもしています。

 

ベートーヴェンがシュトライヒャー夫妻に宛てた手紙は100通以上残っていて、彼らの緊密な親交の内実を知ることができますが、その内容は、音楽や楽器のことから、生活上の雑事に至るまで、多岐に及んでいるそうです。

 

このシュトライヒャーのピアノ
6オクターヴ/4本ペダル。ウィーン式アクション音域:FF-f""(6オクターヴ)弦:FF-BB二重弦/HH-f""三重弦ペダル(4本):右から、ダンパー、モデラート、バスーン、シフト(ウナ・コルダ)

(バスーンペダルって、踏むと上から紙が下りてきて弦に触れます。そのまま弾くと、ビリビリというような紙の振動する音が混ざって聞こえるペダル。楽器博物館で見たことはありますが、どんな時につかったんでしょう?)


同じく1810年11月の手紙。
「親愛なるシュトライヒャー! 君は十月の末までにピアノを貸してくれる約束だったのに,まだ僕がそれを受け取らないうちに十一月ももう半分が過ぎ去ってしまった。僕のモットーは,良い楽器を弾くか,もしくは全然弾かないかのどちらかだ。僕のフランスピアノは知っての通りろくに使い物にならないので,僕はこれを売ってしまうかどうか心を痛めている。何故なら,この楽器は,この地で僕が受けた試しがないほどの尊敬の念の記念品なのだ。」

 

右の写真は、カロルスフェスト作 鉛筆画(1810年)オリジナルは紛失

ーーーーーーーーーーーーーーー

どうやらベートーヴェンは常に、ピアノを借りたり、寄贈してもらったりして、複数のピアノを所有していたようです。

 

この辺、シューベルトとはずいぶん違いますよね。


ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番を、昔初めて聞いたとき、その出だしがあまりにも華麗なことにものすごくびっくりしたことを覚えています。それまでのコンチェルトの様式を大きくやぶって、いきなりピアノの大カデンツから始まります。

 

オーケストラと対等に鍵盤の右から左まで、縦横無尽、という感じで動き回るピアノが、それまでのウィーン式のフォルテピアノの音のイメージでは到底おいつかないほど大きな存在になっているのを感じました。


ベートーヴェンの作曲家としての要望がピアノを発達させたのか、その逆いずれにしても、彼の存在がピアノの進化に大きな影響を与えたことは間違いありませんね。