ピアノの歴史

イタリアでクリストーフォリが発明したピアノのアクション。

ヨーロッパのほかの地域でも似たような楽器の考案は

あったそうですが、ドイツで最初にピアノを制作したのは

ゴットフリート・ジルバーマンでした。

 

ゴットフリート・ジルバーマンは、18世紀前半のドイツにおいて、

もっとも有名なオルガン製作者のひとりだったそうです。

オルガン作りだった彼が、なぜピアノを作成する気になったのか?わかりませんが、

彼が制作したピアノを7台、プロイセンのフリードリッヒ2世が購入した

というあたり、当時今のドイツ圏で勢力があったのは

教会よりも世俗の王のほうだったのかな、などと想像してみます。


いずれにしても1745年から、たった2年で建てられた

フリードリヒ大王の、サンスーシー宮殿には、

ピアノがあった、ということですね。

ポツダムにあるサンスーシー宮殿。案外小さな宮殿です。

チェンバロ?フォルテピアノか?その上に乗っているのが、当時のフルート。

フルートトラベルソ、といいます。(ちなみに、ドイツ語だと、現在のフルートは、

クヴェアフルートQuer Flote(横のフルート)といい、リコーダーと区別しています)

戦争と音楽が好きだったと言われるフリードリッヒ2世は、

自らフルートの名手で、たくさんの音楽家を抱え音楽を楽しんでいました。

 

当時の音楽を知る上で大切な本の一つ「フルート奏法試論」を書いたクヴァンツもその一人。

そして、

「正しいクラヴィーア奏法」を書いたバッハの末息子、
C.P.E.バッハもチェンバロ奏者として仕えていました。

考えてみれば、すごいことですよね。現代の私たちが音楽を学ぶ上で

とても大切な作曲家、しかも、当時の音楽演奏習慣を知る上で大切な本を

書いた二人共が、同じ宮廷に使えていたということですから。

 

背を向けてチェンバロを弾いているのがエマニュエル・バッハ。

彼は1740年から28年間、大王の宮廷で働きました。

 

 


その大王のもとに、父J.S.バッハが
息子のこども(孫ですね)が生まれたときに
訪問し、

大王の提示したテーマをもとに
音楽の捧げものを作曲した、
というエピソードは、あまりにも
有名ですね。

それにしても、この程度の広さの部屋でも、
この絵のイメージのような明るさにするためには、
どれだけの蝋燭が必要だったのでしょう!

時代がさかのぼって、

シューベルトくらいの時代になってさえ、
コンサートを開催するのに一番費用のかかる出費は
「蝋燭代」だったそうです。。。

想像上の産物とはいえ、この絵の表している
ものが、どれだけ贅沢なものだったのか、
考えるとワクワクする、と同時に、
どれだけ一般の人たちの生活と
かけ離れていたか。。。その差に
驚かざるを得ませんね。