みなさんは、修辞学という言葉を聞いたことがありますか?
レトーリックとも言います。
「語り手が聞き手に対し、自らの意思、思考を
印象深くまたは的確に伝える」
ためのコミュニケーションの一方式です。
修辞技法、というのは実にたくさんありますが、
日常的に良く使うのは、直喩や暗喩、などですね。
直喩の例
あいつのいない夏休みなんて真夏のスキー場みたいなものだ
「**のようだ」という表現が多いです。
隠喩は**のようだ、という表現を使わずに何かをたとえます。
隠喩の例
この思い出を忘れまいと、心の宝石箱に仕舞い込んだ
他にもたくさんあって、意識してないだけで、
意外と日頃からよく使っている言い回し(あや、ともいいますね)も多いです。
いずれも、人の感情やイメージに直接働きかけて、
内容をより効果的に的確に伝えるための、
ことばの上でのテクニック、ともいえると思います。
これが、なぜ音楽でも必要なのか?
ココから先は、私が受けた講座や、読んだ本から、自分なりに、
こうじゃないかなあ、と思ったことを、まとめていこうと思っていますので、
ぜひお付き合いくださいね。
中世ヨーロッパでは、修辞学というのは、
3自由学科の文系科目の1つ(修辞学、数学または論理学、文法)だったそうです。
ちなみに、理科系の4課は、算術、幾何学、音楽、天文学。
音楽って理系の学問だったんですね~
もともと、人前で演説したり、何か討論をしたり、という人がうまい人がいて、
あんなふうに話せたらいいな~みたいな発想から、
修辞学って出てきたような気がするんです。
うまい人のやり方を、取り出して、まねをするというか。
ここで、こういう風に強調したら、人が感銘を受ける、とか、
こういう言い回しをしたら、内容がよく伝わるなとか・・・
そして、その技術が必要な人たちがいました。
たとえば、政治家。教会の神父。教師。。
その技術の集大成が修辞学なんじゃないかな、と。
それを今度は、音楽家たちも使うようになったのではないかな、と思います。
だって、便利ですよね。
人を説得するテクニック、です。
それに、音楽と言葉、というのは、切っても切れない関係にあったのではないでしょうか?
時代が古ければ古いほど、特にキリスト教においてはそういう側面が強いと思います。
というのも、先日、キリスト教でのミサに参加する機会があったのですが、
神父さまの語るような、歌うような言葉が、すごく印象的でした。
言葉があるからこそ、大事な、伝えたい言葉に、どのような音をのせるか、
強調するか、抑揚をつけるか、自然に表現したくなります。
こんな風にしてメロディーができてきたのかな・・・と思うような体験でした。
私たちでも、日ごろからいろいろな言い回しを駆使して話をしていますが、
それを、きちんとしたテクニックとして自覚して人前で使うという訓練を、
日本の教育ではあまり重視していませんよね。
自分のしゃべり方をあれこれ工夫する、などということに、
あんまり慣れてない、なので、ちょっと気恥ずかしい、
ということもあるかもしません。
でも、実は、音声で何かを表現し伝える、という点では、
音楽を演奏するのも、しゃべるのも殆ど同じことなんですね。
そういった側面から旋律を見ていくと、
結構新しい発見があるような気がします。
もちろん、旋律を分析するのに、1つしか方法がないわけでもありませんし、
時代や作曲家、国によっても違いがあるとは思いますが、
少なくともある曲を解釈し、演奏するための分析において、
修辞学的な方向で旋律を分析していくというのは、
とても大切な側面なのではないかな、と思います。
もちろん、テクニックだけでは、人の心は動いてくれません。
その意味でもう1つ大事なのが、情感、アフェクト、という要素でした。
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