正しいクラヴィーア奏法6

前回書いた中に出てくる「聴衆」ということば。

 

これは、

今の私たちが考えるような聴衆ではなくて、たぶん主に彼の雇い主である王様とか、周りの貴族、音楽家たち、ということですよね。

 

だからちょっと現在の状況とは趣が違うとは思いますが、それでも、聴衆に対して演奏する側が何をめざしたらいいか、楽譜から何を読み取らなければいけないか、ということが、少しわかるように思います。

 

たとえばフェルマータ。

 

彼によると、フェルマータの表現し得る内容としては例えば、  疲労、優しさ、悲哀。 このような場合、フェルマータに入る場合は拍節をいくらか遅めにするのが普通である。 と言ってます。

 

 

(←ちなみにこれと同じ事を、テュルクも書いてます。テュルクはバッハが死んだ年に生まれた音楽家。写真、というか絵を見る限りでは、なかなか素敵な感じですね)

 

このフェルマータ。私は、2倍長く伸ばす、なんて習いました。

 

どこらあたりから、この「約2倍」という発想が出てきたのかな?確かに、目安としてはわかりやすくていい、と思う人もいたのかもしれません。

 

でも、少なくとも、2倍伸ばす事が目的になってしまうよりは、このフェルマータにおけるアフェクトってどんなものかな〜って考える方が、楽譜を読む作業としては何倍も楽しそうですね。そしてその都度即興的に演奏する事が可能になりそうです。

 

自分自身がその音楽に感動しながら演奏できたら。。。そしてそれを聴衆と分かち合えたら。。。素敵でしょうね。

 

最後に。。。。エマニュエルバッハの「音楽家」についての言及を引用します。

 

「音楽家は、自分自身が感動するのでなければ、他人を感動させる事はできないので、聴衆の心に呼び起こそうとするすべてのアフェクトのなかに、自分自身もひたることが是非とも必要である。音楽家は聴衆に自分の感情をほのめかすのである。そして、そのようにしてこそ、聴衆の心を最もよく動かして、共感させる事ができるのである。」