音楽修辞学

バロック時代の音楽観1

みなさんは、修辞学という言葉を聞いたことがありますか?
修辞技法、というのは実にたくさんありますが、日常的に良く使うのは、直喩や暗喩、などですね。

 

 

直喩の例
あいつのいない夏休みなんて真夏のスキー場みたいなものだ
「**のようだ」という表現が多いです。

隠喩は**のようだ、という表現を使わずに何かをたとえます。
隠喩の例
この思い出を忘れまいと、心の宝石箱に仕舞い込んだ

他にもたくさんあって、意識してないだけで、意外と日頃からよく使っている言い回し(あや、ともいいますね)も多いです。いずれも、人の感情やイメージに直接働きかけて、内容をより効果的に的確に伝える文学上の技法、ともいえると思います。

 


ココから先は、私が受けた講座や、読んだ本から、自分なりに、こうじゃないかなあ、と思ったことを、まとめていこうと思っていますので、ぜひお付き合いくださいね。

中世ヨーロッパでは、修辞学というのは、3自由学科の文系科目の1つ(修辞学、数学または論理学、文法)だったそうです。ちなみに、理科系の4課は、算術、幾何学、音楽、天文学。音楽って理系の学問だったんですね~

これは私の勝手な意見ですが、もともと、人前で演説したり、何か討論をしたり、という人がうまい人がいて、あんなふうに話せたらいいな~みたいな発想から、修辞学って出てきたような気がするんです。うまい人のやり方を、取り出して、まねをするというか。ここで、こういう風に強調したら、人が感銘を受ける、とか、こういう言い回しをしたら、内容がよく伝わるなとか・・・その技術の集大成が修辞学なんじゃないかな、と。

それを今度は、音楽家たちも使うようになったのではないかな、と思います。だって、便利ですよね。人を説得するテクニック、です。それに、音楽と言葉、というのは、切っても切れない関係にあったのではないでしょうか?時代が古ければ古いほど、特にキリスト教においてはそういう側面が強いと思います。

というのも、先日、キリスト教でのミサに参加する機会があったのですが、神父さまの語るような、歌うような言葉が、すごく印象的でした。言葉があるからこそ、大事な、伝えたい言葉に、どのような音をのせるか、強調するか、抑揚をつけるか、という風にしてメロディーができてきたのかな・・・と思うような体験でした。

私たちでも、日ごろからいろいろな言い回しを駆使して話をしていますが、それを、きちんとしたテクニックとして自覚して人前で使うという訓練を、日本の教育ではあまり重視していませんよね。

自分のしゃべり方をあれこれ工夫する、などということに、あんまり慣れてない、なので、ちょっと気恥ずかしい、ということもあるかもしません。でも、実は、音声で何かを表現する、という点では、音楽を演奏するのも、しゃべるのも殆ど同じことなんですね。

そういった側面から旋律を見ていくと、結構新しい発見があるような気がします。

もちろん、旋律を分析するのに、1つしか方法がないわけでもありませんし、時代や作曲家、国によっても違いがあるとは思いますが、少なくともある曲を解釈し、演奏するための分析において、修辞学的な方向で旋律を分析していくというのは、とても大切な側面なのではないかな、と思います。

もちろん、テクニックだけでは、人の心は動いてくれません。その意味でもう1つ大事なのが、情感、アフェクト、という要素でした。それについては、また次の機会に考えてみたいと思います。